これからの高齢者医療を考える
2年前整形外科学会で表彰されました。その時一言しゃべれと言われたので、「これからの医療は治すことばかりを考えないで、諦めることも必要ではないか」と発言し一部賛意を得ました。
3、4年前の新聞報道にありましたが、2050年には日本の平均寿命は三分の二の確率で90才を超えると書いています。
これは、その分若年者が少なくなり、人口減少がかなり続きどう安定するか分かりませんが、少ない人数で長命になるのが現在のところ一番良いと思いますが、人間の体はそううまく出来ていないので、どうなるのか、そうならないのではないかと思っています。
私が大学医学部在学中の時、教育学部の社会保障専門の教授籠山先生が、「教育と医療は似ている。受けた人がすぐにその価値が分からない。」というような事を言っていました。その時は成程と思いましたが、最近復刻出版された札幌農学校なる本を読むとまさに籠山先生が言った事がその通りで実践されているなと思いました。籠山先生が札幌農学校の本を読んで、ひょっとしたら前述の発言をしたかもしれないと思いました。クラーク博士が札幌農学校の校長になり、今日の北大だけでなく、日本の教育の礎を築いたと言っても過言ではないと思われる内容が詳しく書かれています。
医療もしかりです。目先の事を考えてばかりいたのでは、後々大変な事になる事が多々あります。大部分の病気は殆ど放っておいても治るもので、その場しのぎで良いと思いますが、長期間経過観察が必要で、その変化に応じて対応する必要があるものもあります。
私は整形外科ですので、整形外科について書きますが、他の科でも似たような事があるかと思います。成長期の子供については長い期間、経過観察を要する病気が多いですし、後々、種々問題となる事が良くあります。小児の医療については現在の医療で全く問題ないと思いますが、高齢者の場合、大変悩ましい訳であります。手術しようとしてもosteoporosis(骨粗鬆症)のため骨がボソボソで十分に固定が得られず、例えば骨折の場合巧く固定できたとしても、すぐ瓦解してしまうからです。手術がうまくいったとしても、そう長くはもたないからであります。
そもそも人間の寿命は、どの位が適切であるかと考えた時、中公文庫の本何某著「ゾウの時間とネズミの時間」という題の文庫本の中に野生の哺乳動物の寿命は心拍度数で20億回と書いてありました。それを人間に当てはめると心拍度数1秒1回として1日約1000万回とすると20億回はだいたい2万日で、2万日は55年8ヶ月にあたり、約5才です。だいたい昔の定年であり人間でも同じだろうと思った次第です。
杜甫も、「人生70才古来希なり」と書いて70才以上の人生はもうけものなので、「蝶よ、花よと、遊んで酒でも飲んで楽しくいきましょう」というような事を書いてあります。
今人生80何年時代、66才では一寸早すぎますが、後期高齢者に入ったら、後で回復の見込みがないと医師が判断したら対症療法で成り行きまかせがいいのではないかと思っています。意味のないと思われる延命治療は止めることかと思います。
回復の見込みがない、意味のないと思われる延命治療というのは、どのようなものか決めるのは、大変難しく大変悩ましい。個々の患者さんで違いますし、個々のケースバイケースで患者さんと家族と医師の関係の中で決めるべきものだと思います。
先日、友人に「今の医療はおかしい。皆100才以上まで生かそうとしている。程々に歯止めをかけるべきだ」と言ったら、「その通り、100才まで生きて必ずしも幸福とは思えない」というような事を言いましたが、私もあらためて周囲を見回して100才以上生きて幸福?と思われる人はあまりいないことに気づきました。
100才以上生きるのは、目標として生きるのは良いが、現実は?と思ってしまいます。 ただ、私はADL(日常生活動作)が全部出来れば、少しボケるかも知れませんが、100才までは生きるつもりです。
ただ、ADLが出来なくなったら、100才まで生きるのは諦めます。