悉無律
全て又は無の法則、all or none law もしくは、all or nothing lawという、生理学で神経細胞の反応についての法則です。
神経細胞は一定以上の刺激を与えると反応する。その反応は、いくら刺激を強くしても弱くしても、一定の同じ反応が現れるので、全て又はゼロなので、all or nothing lowと言います。
私の学生時代のこのことに関する実験を思い出します。
生理学で“全てゼロ”の法則の実験のため、蛙の下腿筋に重りを付けて取り出し、それに刺激を与え、筋肉が収縮するかどうかを実験しました。その時、誰かが「これを喰ったらうまそうだ」と言ったので、私が「誰かこれを喰ったら、(今の金で10,000宝円位だと思いますが)1,000円出すから誰か喰わないか」と言ったのですが誰も喰わなかった。「それじゃ俺が喰ったら誰か1,000円出すか」と言ったら誰も出すと言わなかったので、不愉快な思いをした。喰う気がないのに、まさか俺が喰いそうに見えたのかなと思った次第です。
我々の学生の時、教養から学部移行の時だったかと思いますが、全国の名のある病院、ほとんど東京・大阪だったと思いますが、先輩の行っている有名病院施設の見学かたがた全国を旅 行するのが毎年繰り返される行事でした。
グループで行動する人も、一人でする人もいて、見学の時だけ集合するというものでした。我々の時は東京築地のがんセンター、国立予防衛生研究所・と広島の原爆病院だったかと思いますが、ほとんど内容は記憶にありません。ただ、其々での病院に北大の先輩の先生がいて、説明及び案内をしてもらいました。
その時、私は一人で旅行していて、大分県かどこかで同世代の同じような旅行をしていた学生と一緒になり、悉無律の話をした時、その学生が、「結局、世の中の出来事は全て二進法に帰結できると言えますね」と言ったので、「そうだ」と私が答えたことを思い出します。
という訳で、我々の日常生活の全てのあらゆることに当てはまることで、コンピューターで使っている二進法で数字は7”は、“0・1・10・1・100・100m・10″となり、“全てゼロ”ですし、我々の日常行動も、食事をする・しない。どこかに行く行かない。会議に出席する・しない。音楽会に行く・行かない。すべては“全てゼロ”であります。
孔子が物事は全て中庸が良いと言ったといわれていますが、何か決めなければならない立場に立った時には、中庸はありません。0.1の間はありません。 結局、自分が決定にかかわらない時には、余計なことをするな、何もするなということで、なにもしなければもめごとは起こりません。という訳で、孔子は中庸と言ったのではないかと、私は思っています。
民主党政権も、全ての事に稚拙で何もしなかったのではなく、決めるべき時何もしなかったので、こんなことになったと思います。
今回の安倍政権で“アベノミクス”と言って経済政策について、盛んにリスクばかりマスコミは言っていますが、私は何もしないより良いと思っています。何もしないという事は、座して死を待つことになります。何か生き残ることを考えないと日本は沈没します。
だから私は、“アベノミクス”はうまく行くと思っていますし、うまく行く事を期待しております。
しかし、我々国民のそれぞれが、ケチばかりつけるばかりでなく、うまく行くように応援しなければならないと思います。