信じる者は救われる?
「信じる者は救われる」これは、全ての宗教の教是であると思っています。
私は、若い頃はこんな事を考えたこともありませんでしたが、最近は、どんな事でも出来ると信じて事をはこべば必ず上手くいくと思っています。つまり最後まで明らかに無駄と分かるまで『出来る』と信じることです。病気の場合『この病気は治る』と患者さんが最後まで信じれれば治ると思います。だから医師の役目は、患者さんにこの病気は治ると、何らかの手段を講じて信じさせることだと思います。
若い頃は、「何を言っているんだ。信じて治るなら苦労しない。末期癌とかその他不治の病と言われるものは無理だろう、そんなはずがない」と思っていましたが、最近は治ると信じることが最後まで出来れば、本当に治ると思うようになりました。
というのは、ここ1、2年の間にたて続けに友人が癌で亡くなり、また私が若い頃に大学病院で受け持った患者さんで難病(ALS)と診断された患者さんが、思いがけぬ経過をたどった例を思いだしたり、悪性腫瘍長期生存例などの講演を聞いた後、その演者とたまたま私的に話した時は「良くなった例は診断が間違っていたと言った」などと聞いて、なるほどと良く考えもせず ” そうか ” と思っていましたが、最近は友人などに聞いても、難病と言われた不治の病の治癒した病例を聞き、またその映画その他の書き物で、明らかに不治と言われる病(例えば、悪性腫瘍)と診断された患者さんが治癒したという事実の話を見聞し、それらはすべて奇跡でも何でもなく、当たり前の事だと思うようになりました。最近は新聞雑誌の広告でも、サプリメンその他医療以外の方法でがんが治るという広告のオンパレードです。
野菜ジュース等をはじめもろもろのサプリメント他、沢山ありますが、それらで全ての人に共通するのは、良くなる最後まで信じきっている、即ち雑音に耳を貸さず『治る、治る』と信じて、自分の信じたとおり、最後までそれを貫いていくという事です。
それをちょっとでも疑ったり迷ったりしたら、終わりという訳です。
だから、それ等は全て病気が何とかなると信じさせる道具でしかない。
という訳で、とことん信じると、世間の人が言う奇跡と言われる事が起こるという事です。しつこいようですがそれらは、全て奇跡でもなんでもない当たり前の事だと思っております。
最後にこれを書くきっかけとなった文章を紹介して筆をおきます。「ガハハと笑いホット一息」という題で、この文を書いたのは当時の日本医科大学教授、高柳和江先生です。
切れたハンカチを縫い合わせ糸を抜けば二枚に分かれる。ところが、手術の傷は一週間でふさがり、糸を抜いてもくっついたまま、これが私たちの生物の自然治癒力だ。でも誰でも秘めているこのすばらしいパワーを全部使い切っている人が少ない。
去年7月神戸在住の友人、田村先生からFAXが入った。「悪性リンパ腫になりました。すでに四期。生存率は25%です」すぐに笑いの処方箋を送った。
「免疫を高めましょう。一日5回笑って一日5回感動する。副作用:腹がよじれる」。ガハハと笑った写真の横に「もっと笑ってー」とマジックインクで書いて同封した
その写真を病室の壁に貼り抗がん剤の点滴を受けながら彼は、周囲を笑わせた。外来通院になると毎日裏山に登り「僕は、治ります」と叫んだ。こだまが返ってくる。こだま療法だ。これで背筋がピンと伸び元気はつらつである。奥様がびっくりした「あなた別人。毎日森に行く前と後では顔つきが全然違う。」
一年後、田村先生からFAXが届いた。「奇跡がおきました。癌が消えました。」こうして心も体も治るならば、自然治癒力を高めるサポートを受けること、そのための「癒しの環境」を得ることは、患者の権利である。
私が10年間勤務した熱砂の国クウェートの病院は、植林した森の中にあった。医者と患者は診察の度に握手をして人間的であたたかい関係。これでこそ「よし治るぞ」という気になる。病院はここにいだけでほっとして元気になる。免疫が高まる環境を基本とすべきだ。
具体的に何が必要か実験で確かめた。笑うと免疫を強めるNK細胞の活性が高まる。森の中でもNK細胞が活性化する。だが多くの病院には、笑いもほっとする癒しの環境もない。
10年前に「癒しの環境研究会」を立ち上げ、どうすれば病院が変わるか考えてみた。「心で」納得しがたい治療をされたり、何とか我慢させるなんて病院と呼べない・・・というものです。同感です。