尊厳死を考える
" 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 "
これは西行法師の短歌である。西行法師は本当に如月 (四月) の望月(満月)の頃に死んだようです。
人間は誰もが永久に生きることはできないので、誰でも西行法師のような最期を望んでいるかと思います。
私が医師になった頃は、 ヒポクラテス以来、無駄であっても最後迄延命に努力する中から、明日の医学が生まれると教えられ、社会もそれを当然と受け止めていました。
ところが、最近は医学の進歩により見直しが叫ばれています。生命維持のメカニズムが分かる につれて、いわゆる植物状態になっても補液と人工呼吸器等により、寿命だけは健常者と同じように生きることができるようになってきています。
という訳で、高齢者の終末医療の場合、何らかの歯止め必要と考える人たちがおり、尊厳死協会が出来、その法制化に取り組んでおります。 協会の主張は「人生の終末期のあり方は、人間の寿命は遺伝子によって決められており、有限で、いつかは必ず死を迎える。 ならば健やかに全力を挙げて生き抜き、最後は苦しむことなく満足感をもって人生の有終の美を飾りた いと思うのが当然。我々は生まれて以後、常に自分の意志に基づいて行動しているのに、死ぬ事だけが自分の意志で選択できないのは不自然。」と言って尊厳死の法制化を言っている。
厚生労働省の終末期医療を考える懇談会が出来ていますが、なかなか折り合いがつかず、結論は延び延びになっております。植物状態になり医師が回復不能と判断してから3ヶ月が過ぎたら、家族の方から延命治療を止 めるよう話す方が望ましいと思いますが、医師と家族の双方が話し合って決めるのが、一番良いと思います。